院長の器機に対する想い_術者の憂鬱

 

  大リーグで活躍するイチロー選手が、あるところでこのような事を言っていました。“何年かプロでレギュラーをやっていると、野球が難しくなってくる。難しさだけが感覚として残っていく、それがメンタルを蝕むような、そのようなことを体験する。” 

 これは、熟練した術者が経験する憂鬱と、同じ感覚なのだと思います。傍から見たら、めちゃくちゃ野球が上手で、皆の憧れでも、本人はそれで良しとしていない。

 結局のところ、究極の名人とは、中島敦の“名人伝”にでてくる弓の名手紀昌のように、最後には“至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなし”と言って、追求する技そのものを忘れてしまうのかもしれません。まだ、私はその境地には至っていませんが・・・。

院長の器機に対する想い_道具と人

ヒトは道具を作り、使うことにより人間になった、と言われています。道具をどう扱うか、これに関しては、人それぞれ様々でしょうが、私が一つ理想としている型があります。

“大空のサムライ”の著者で、元ゼロ戦パイロットの坂井三郎氏が、生前インタビューで、“自分が最も脂がのっていたとき、ゼロ戦の主翼端が中指に、機体先端が眉間に感じられ、完全に飛行機と自分が一体化していた。”と答えていました。

これこそが、私自身が望む、器械との関係です。白内障器械にせよ、顕微鏡にせよ、手術の際、それら器械が自分の体の一部となり、自分の指先を思いのまま動かせるのと同様に、器械を意のままに操り、細部まで肉眼で見ているように自然に見える。このような関係を築ける器械を選び、一体化できるように日々研鑽しています。

院長の器機に対する想い_カールツァイス 

 

1846年創業、ドイツの精密光学機器メーカー。司馬遼太郎氏の“坂の上の雲”にも登場しますが、東郷平八郎大将が、日本海海戦時、首から下げていたのが、カールツァイス社製の双眼鏡であり、塚本克熊中尉が敵将ロジェストウエンスキー中将の搭乗する駆逐艦を見つけたのも、同社製の双眼鏡だったといわれています。

日本とドイツ、もの造りが上手な2つの国が、歴史の大切なところで関係していて、それが今に繋がっている。当院で使用している手術顕微鏡もツァイス社製です。

手術室に鎮座している顕微鏡を見るたびに、100年以上前に日本の歴史を変えた双眼鏡から脈々と続く歴史を感じ、顕微鏡を覗くたびに、ほんの少しシャキッとした気持ちになります。

白内障手術は清水の舞台から・・・ではない

 白内障手術後の患者様からよくお聞きする言葉は、“こんなに見えるなら、もっと早くに手術しておけば良かった。”というセリフです。

この仕事をずっと続けていると、初診の患者様が診察室に入ってきた瞬間に、その患者様が今後どうなってゆくか、パッと見通せることがあります。

特に、白内障手術の経過は、多くの方が同様の経過をたどることが多いので、白内障で視力低下している患者様には、早く見えるようにしてあげたいと思います。

ただ、多くの患者様にとって、目の手術は初めての経験のことが多く、手術を決意する際に迷われることも多々あります。

そのような時には、無理に手術を勧めず、患者様が納得し、決意するまでしっかりと見守ることにしています。